日々の暮らしの中に想うことをあれこれと書いています
ときどき訪ねるブログは、若い若い青年が書いている写真日記。
青春のほろ苦い味が、いっぱいに広がって、
訪ねるたびに、自分自身のの懐かしい想いが蘇ってくる。
こんな風に誰かを想い、あんな風に傷ついたっけ・・・って。
でも、先日はちょっとひっかかったこんなセンテンスがあった。
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「生まれてよかった」と思う瞬間は? という問いに、なんて答えよう。
おそらくそう想うであろう瞬間は、毎回誰かに壊され・・・・・・・・・
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読んだとたん、
「違う、それは誰かが壊したのではなく、自分が築けなかっただけなのに!」
と、胸の奥から、大きな叫び声が出てしまった。
思うようにならなかった「結果」や、辛い想いしか残らなかった「結果」、に至ったのは、
相手のせいじゃない。
誰かのせいじゃない。
それは、ただひたすら、自分のせい・・・
青年どころか、よい大人になっても、いつでも「結果」を相手のせいにする人がいる。
誰かのせいで、自分が良い思いが出来なかったと、腹を立てる人がいる。
いつも自分は正しく、いつも悪いのは相手だと、決め付ける人がいる。
「生まれてよかった」という瞬間を壊すのは、いつも誰かのせいだ・・・と
メッセージを残す青年、に、
そんな大人にならないで欲しいと、
つい、おせっかいのコメントを書いてきてしまった。
それは自分のせいなのに・・・と。
翌日、
「そうやって、言ってくれる人がいるから俺は生きていける」と
彼のレスに、ホッとしているおせっかいおばさんでありました。