日々の暮らしの中に想うことをあれこれと書いています

記憶って、こんなにいい加減だったとは・・・
谷崎潤一郎の「春琴抄」を、遥か昔に読んだ。
盲目の春琴と、献身的に彼女に尽くした佐助の物語。
自らの一生を、春琴の見えぬ目の代わりに生き、
春琴の天才的な三味線を深く敬愛し、
春琴が弟子に顔を傷つけられた事件のあとでは、
彼女の美しい面影を脳裏に焼き付けておくために、
自らも盲目の世界に入っていった、佐助・・・
その「春琴抄」に気になることがあり、もう一度読みたくて、
本屋さんで文庫本を買ってきた。
そして、ページを開く、と!
ん? え? 読んでなかった??
本は、私のイメージしていた物語の形式ではなくて、
作者(谷崎潤一郎とうわけでは無い)が、
「鵙屋春琴伝」という小冊子を基に、
春琴と佐助の伝記をなぞっていく、という形で書かれていた。
そう。私が読んだと思った「春琴抄」は、谷崎の書いた本ではなくて、
舞台やテレビドラマなどで、見て知っていたストーリーだったらしい。
絶対に本を読んでると、思ってたのに。記憶の勘違いだった。
なんて、いい加減なことでしょう。
“初めて”「春琴抄」を読んで、当たり前の男と女では考えられないような、
その二人の愛の形に、
あらためて、色々な想いを深める。
佐助の春琴への愛は、畏敬の愛、情念の愛、永劫の愛、無償の愛・・・
読み終わり、薄い文庫本を閉じたとき、
私の周りの空気が、
遥か遠い昔の空気のように、かすかに湿った匂いがしていた・・・