日々の暮らしの中に想うことをあれこれと書いています

三が日のうちに初詣にでかけたのは、独身の頃以来・・・
たいてい、三が日が終わって、少し落ち着いてからお参りしていたけど、
今年は、どうしても三が日のうちに出かけたくて、
今日の午前のうちに、鎌倉八幡宮に行きました。
さすが、三が日の人出は半端じゃなかったけれど、
お参りの人たちに押され、押されしながら神殿の前まで進むのも、
初詣らしくていいものです。
世の中が不景気だと、初詣の人出が増えるという。
せめて神様に「今年が良い年になりますように・・・」と
お賽銭を投げて、お願いするくらいしなくちゃ、と、庶民の胸のうち。
ベビーカーに赤ちゃんを乗せてお参りする若い両親の姿も多く、
おじいちゃんに手を繋がれて、お参りの列に並ぶ小さな子どもたちや、
熟年の夫婦、若いカップル・・・
あらゆる世代の顔が並んでいました。
お正月休みも明日でおしまい。
5日からは、いつもの日常がスタートし、
私も、目をそらしていた書類の山が目の前に・・・
そして、1月8日、記念すべき日が目前です。
さんぽ道をスタートさせて、10周年の日・・・
自分の中で、どんな区切りをつけたらよいだろうか?と、
年末ごろから、考えていたのだけれど・・・
何も思いつかないまま、その日がやってきそうです。
神社の絵馬には、どんな願いが書き込まれているのでしょう?
合格祈願? 恋愛成就? 願い事のある人は幸せなのかも。

おみくじを引きました。
その中の言葉が心に留まったので・・・
「世間は虚ろで自分の心が実です 心を豊かにして行けば笑いが自然に沸く様になります」
なによりもまず、自分の心が大切。
世間のものごとに惑わされず、自分の心が豊かになるように、
努力しなくてはいけない・・・心して・・・
2009年がスタートです。
ことしも、よろしくお願いします。
色々なことに、愚痴をいわず、甘えず、
しっかりがんばって行こう! と思っています。
(いつまで続くか・・・?)
楽しいこともいっぱい作らなくちゃ!
お節を煮る鍋のコトコトという音が、
いつもの大晦日だよ! と言っているように聞こえて、
とにかく、今年も終わるんだなあ~と、嫌でも思う今年最後の日になりました。
去年は何を書いたっけ? その前は? その前は?
少し前に年末のエッセイを読み返し、
う~ん、同じことばっかり書いてる・・・ と思ったら、
もう何も書けなくなって、エッセイを開いたのは数日ぶり。
そういえば、さんぽ道をスタートして、10回目の大晦日です。
最初から、何かしらのエッセイじみたものを書き続けていたから、
10回も年末のあれこれを書いてきたら、
もう、新鮮さも沸くわけもなく、
何か書けば、これはいつか書いたな~ と思うのも当然かも。
10回も! あらためて、ビックリ。
世の中のことも、個人的な風景も、
書きとどめようと思うことはいくらでもあるのだけど、
どこかで、ブレーキがかかります。
エンジンブレーキだけで、ゴーゴーと回転音を上げながら、
来るべきエンディングの停止線をオーバーしないように、
なんとか調節しているところです。
一旦停止したら、また再発信!
来年は、どんな風景が、窓の外を流れ、
室内には、どんな空気が流れるでのしょうか?
お節のお鍋が焦げないか、ちょっと心配になってきた・・・
今年もまた、1年の長い間、
さんぽ道を訪ねてくださって、ほんとうにありがとうございました。
心を込めて・・・ 10回目のお礼です。
来年が、全ての人にとって幸せな年でありますように・・・
気がつけば・・・
クリスマスも終わって、
小さなエッセイでは、メリークリスマスのひとことも書かずじまい。
この年末は、去年に輪をかけて、
現実逃避しているらしい自分・・・
なんだか、身体が重いのね~
(それは、「ダイエットが必要!」ということです。来年はがんばります・・・)
朝の散歩、ちょっと違うルートを選んで角を曲がると、
ちょうど「資源」の収集日で、人々が集まっていた。
その中に友人を見つけて手を振る私。
ずいぶん長いこと会っていなかったその友人と、
束の間だけど、近況報告を。
彼女の可愛がっていた柴犬が亡くなって、
しばらく月日が過ぎていたので、
「淋しいでしょ」と尋ねると・・・
「日にちが過ぎていくうちに、
家の中のあちこちから出てきていた抜け毛が、
ほとんど出てこなくなって、
居なくなったことを実感するの」と彼女。
さくらが我が家に来て5年が過ぎ、
もう、家中、ありとあらゆるところから、
さくらの抜け毛が、綿のようにふわふわと出てくる。
廊下や階段の隅も、家具の裏からも、サッシの溝にも・・・
家族の靴下の底にはさくらの毛がついたまま洗濯カゴに。
コートにも、バッグにも、抜け毛をつけたまま外出してしまう。
きっと、犬嫌いの人は、我が家に長居は出来ないと思う。
もし・・・ さくらが居なくなってしまったら、
それらの抜け毛は、日にちが過ぎるほどに消えてゆき、
やがて、どこにも見当たらない日がくるのだろう。
それは、なんと切ないことだろうか・・・
友人の話に、
愛する犬との別れの淋しさを、ひしと実感した朝でした。

「昭和38年発行」と書いてあるから、45年も昔の本たち。
廊下に積まれた全集の名は、「日本現代文學全集」
先日、夫が納戸の整理をしていて、奥の棚から、
15年ぶりに引っ張り出してきた本だった。
既に黄色く変色しているその本たちは、
かつては私の母の本だった。
私と年の離れた兄が、読書家の母のために、
お給料日のたびに、一冊ずつプレゼントしていたものだった。
亡くなった母の本棚から、
興味のありそうな本だけ、私が自宅へ引き取った。
全部で100冊はあったかもしれないけれど、
そんなには引き取れない。
その他は処分されて、やっとこれだけ生き残った本たち。
母はよく本を読む女性だった。
読む本が無くなると、私が本屋さんへ買いに行かされた。
「オール読物」「文芸春秋」「小説新潮」・・・
子供の私は、分厚いそんな文芸雑誌のどこが面白いのか、
不思議に思いながら、急いで本屋さんへ走っていく。
走るのは理由があった。
母の本を買うついでに、
マンガを買っても良いことになっていたから。
私が買うのは、いつも「少女クラブ」と決まっていた。
その母の遺品の本たちを、いつか読もう・・・と思いながら、
まだ1冊も読んでいなかった。
納戸の整理をして、古い本も処分するという話になっていたけど、
いえ、だめ! 処分は取りやめ。やっぱり読みたい。
たとえ、数冊だけでも。
母の手垢の付いた本、ほとんど読まれなかったらしい本。
どちらからも、母の好みが浮き出されてきて、
懐かしい母の、本を読む姿が、私の胸の中をいっぱいにする。
だけど、文字が小さいのね~
なのに母は、老眼鏡もかけずに読んでいた。
そして、当然のごとく、旧仮名遣い。
きっと慣れるまで、少し時間がかかりそうだけど、
作者が著したままの仮名遣いで読むことで、
その情景が、さぞかし生き生きとしてくることだろう。
まず、私の好きな作家「谷崎潤一郎」から読み始めようかな。
来年は、この文學全集に染まってみます・・・
ん? 何冊くらい、読めるでしょうか?



藤沢駅前のビックカメラのビルに、
新しい本屋さんが出来たというので、
買い物のついでに寄ってきました。
駅の北口側には、以前はあった本屋さんがみんな無くなり、
南口まで行かなくてはならなかったから、
とっても嬉しくて、どんな本屋さんか興味津々。
この書店は、フロアスペースを広くして、
立ち読みも気楽に出来る、ということで人気。
以前、テレビで特集していたのを見たことがあったけど、
それが藤沢に出来るなんて思いもしなくて、ワクワク。
本の数の多さに圧倒されました。
2フロアある店内の隅から隅まで、ざーっと覗いただけで、
軽く1時間ほど、時間を潰してしまったくらい。
アマゾンで書名だけでネットショッピングしなくても、
お目当ての本を手にとって見られるのが、嬉しい。
で、早速一冊レジへ持って行きました。
その本のことは、追記に入れておこう・・・